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働くということ

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改めて「働く」ということを考えさせえられた。「働く」という行為は、単に経済活動のみをいうわけではない。時としてそれは“生きがい”となり、貴重な社会参加の機会となる。

写真のメモは、「就労支援センターどんまい」で就労訓練をおこなっているある女性が“手づくり”のだし巻き卵とともに僕に届けてくれたものだ。恥ずかしそうに「食べてくれませんか」という彼女はしかし、ある種誇らしげな表情を浮かべていた。

僕は、彼女が暫く通所できないでいる時期に思いを馳せた。
僕は、何故、彼女が通所できなくなっってしまったのかを知っている。

それは、調理実習でのことだ。利き手が不自由な彼女は、その日、上手に包丁を使いこなすことができなかった。いつも仲良く過ごしている仲間が料理人たる講師から「本当にうまくなったね」と褒められるのを横目に、明らかに表情を曇らせる彼女を見てしまった。もしかしたら、勘違いかも知れないが、それでも僕は確信を持っていえる。彼女は“比べた”のだと。人は、比べるから自分が嫌になる。

あいつにはできるのに僕にはできない!
あいつは容姿端麗、僕ときたら…。
あいつはスポーツ万能で勉強もできる!

でも、人はそれを抑えることができない。他者と自分を比較することから逃げることはできないのだ。

もしかしたら、それは、人間であることの証しみたいのものなのかもしれない。だとするなら、彼女の苦悩は、成人女性として至極真っ当なものなのではないか。

そんな彼女が、また、通所できるようになった。一度は自分の「居場所」として否定した「どんまい」に来られるようになったのだ。僕ははたとして思う。答えは、この卵焼きの中にあるのだと。